こんにちは、Takashit(@33fisherskier)です。
私は現在、岐阜県の郡上市(奥美濃)というスキー場がたくさんある山奥に住んでいます。
生まれも育ちも愛知県で実家の目の前は海があるという環境で育ちました。
なぜ海の近くで生まれ育った私が山奥に住んでいるかというと…
フリースキーの魅力にどっぷりハマってしまったからですw
そんなフリースキーにハマってしまった私の自己紹介をしたいと思います。
目次
- スキーを始めたきっかけ〜フリースキーにハマるまで
- 25歳でフリースキーにハマる
- 26歳夫婦でフリースキーにハマる
- 27歳で仕事を辞めてカナダへ
- 28歳で山へ移住
- 29歳〜32歳イベント、キャンプの手伝いなど。
- 33歳にして大会で初入賞、シーズン終わりに脊髄損傷
- 34歳から無茶しなくなる
- 35歳子供が産まれテレマークを始める
- 40歳またパークで攻めだす
スキーを始めたきっかけ〜フリースキーにハマるまで
スキーを始めてしたのは3歳の時でした。
両親がスキーをしていたため、小さい頃から年に何回か連れて行ってもらっていました。
この辺の話はこちらの記事でも書いています。
それから小学校6年生になるまでは年に数回スキーに連れて行ってもらっていました。
ちょうど「私をスキーに連れてって」の上映があり、スキーブームだった頃ですね。
リフト待ちとか1時間とかですごかったです。昔は今みたいなクワッドリフトとかなくて、あってペアリフト。シングルリフトが基本でしたからねー。
それでもスキーは楽しかったです。海育ちの私は雪を見るだけで喜んでいました。
友達家族と一緒に泊まりで行ったりもしていたので凄く楽しかったです。
そして、中学からは父と一緒にスノーボードを始めました。当時はスノーボードをやっている人はほとんどいなくて、教えてくれる人もいなかったので滑れるようになるまで大変でした。
高校2年の時にスノーボードでキッカーを飛んだりするビデオをたまたまショップで見てカッコイイ!と思って真似して飛ぶようになりました。ちょうどこの頃はスノーボードやスケートボードが流行りだした時でプロショップなんかもでき始めたときでしたね。
しかし、当時私が滑りに行っていたウイングヒルズや大日岳(ダイナランド)スキー場はパークなんてものがなくちょっとしたギャップを飛んだり、自分たちでキッカーを作って飛んだりして遊んでいました。
高校3年の卒業旅行はわざわざ遠い当時パークで有名な高井富士スキー場(現X-JAM高井富士)にバスツアーで行ったのを覚えています。
大学時代はスキー場に近い石川県だったので冬は白山中宮温泉スキー場のシーズンパスを買って結構通っていました。
はっきり覚えていませんが当時はシーズンパスが2万か2万5千円ぐらいで、ナイターも毎日やっていましたし、土曜日はオールナイト営業もしていたのでよくナイターに行っていました。
残念ながら今はもう廃業してしまいこのスキー場は無くなってしまいました(^^;)
白山中宮温泉にはハーフパイプがあったのですが、今のハーフパイプと違って整備なんてものはありませんでした。パイプドラゴンとかの重機も白山中宮にはありませんでした。
ただ土盛りがパイプ状になっているだけで、雪も滑る人に踏まれて付いているだけのようなものでしたが、それでも飛んだりして楽しかったのを覚えています。
また、小さなキッカーがあったので(多分誰かが勝手に作ったと思われる)それを飛んで遊んでいました。この頃はせいぜいオープン360しかできなくて、カッコよく飛べるようになりたいなーっと思っていました。
そんな感じでスノーボードをやっていたのですが、22歳の時に某大型スポーツ店に行ったら短いスキーが置いてありSALOMONのTEAM ONE DAYのビデオが流れていたのです。
【多分、当時私が見たのは2だった記憶があります。これは4でパッケージのライダーは確か野沢温泉出身の上野正之くん、弟の上野雄太(COMPASS HOUSE)くんの方が知っている人は多いかも。】
そのビデオを見たとき「なんだこれは!」とすごく衝撃を受けました。
短いスキー(スノーブレード、スキーボード)でクルクル回りながら飛んだり、後ろ向きに滑ったりしてるじゃないですか!
やってみたい!っと思って値段を見ると確か3万ちょっとぐらいだったんですよね。スノーボードとか板とビンディング買うと10万ぐらいはかかっるのにビンディング付いてこの値段ならなんとか買えるって思いました。
しかも、ソフトブーツ(スノーボードのブーツ)対応のビンディングがあって、これなら今使っているブーツでもできるしってことで貧乏学生なのに買ってしまいましたw
その年はひたすらスノーブレードで遊んでいましたねー。元々スキーをやっていたので滑るのはすぐに滑れたし、スノーボードで飛んでいたので360とバックフリップはその年のうちに出来るようになりました。と言ってもバックフリップは回れるだけで全然着地できませんでしたけど(^^;)
当時はスキーボードも割と流行っていて今は完全にスキーメーカーですがLINEのスキーボードも人気でした。LINEは元々スキーボードを初めて作ったメーカーでジェイソン(創業者)とマイクニックが当時ブイブイいわせてました。LINEの歴史はスキーバム商会さんが詳しく紹介されていたのでリンク貼っておきます。
社会人になっても年に10日ぐらいは滑りに行ってました。インラインスケートも始めてみたりとエクストリーム系スポーツが好きなんですよねー。
でも、そこまでハマっていたわけでもなく毎週末滑りに行くとかまではしていませんでした。
それで24歳で結婚したのですが、結婚もしたしそろそろ落ち着かないとなー、と思っていました。
スキーボードの流行りが廃れてスキーボードのライダーだった人達もスキーに転向していったし、どうしようかなぁと思っていたのですが、たまたまTV(確かスカパー)でWinter X-Gamesがやっていて見ていたらスキーでスイッチロデオ720をやっていたんです!
また衝撃を受けました!俺もあんな風に飛びたい!って思ってまたスキーを始めることになったのでした(アホですね)
25歳でフリースキーにハマる
またスキーをやってみようと思った私が買ったスキーはIDoneのARrideでした。
なぜIDoneにしたかというと、雑誌で色々調べたら初心者から上級者まで幅広く対応みたいなことが書いてあったのと、田巻くんの写真がカッコよかったからですw
IDoneを買おうと思ったのですが近くのスポーツ量販店では売っていなくて、色々調べたら愛知県にも専門で取り扱っているショップがあったのでそこへ行くことにしました。
これが間違いの始まりでした(笑)
このショップでIDoneを買ったのですが、当時ショップのお客さんだった人達と仲良くなりどんどんスキーにハマってしまいました。
この年はダイナランドでカップルシーズン券(今はもうこのシーズン券は無くなりました)を買って妻と一緒に毎週末車中泊でスキーをしに行っていました。
このショップを通じて知り合った方々は今でも交流がありスキー仲間です。結婚したり子供が生まれたりで一緒に滑りに行く機会は減りましたが時々一緒に滑ったりしています。
毎週末スキーに行っていたのでこの年は30日以上滑ったと思います。妻もシーズンの初めはスノーボードをやっていたのですが、3月頃からスキーに転向して一緒に滑っていました。また、GWには仲間達で八方尾根にも滑りに行きました。黒菱のコブコブとか楽しかったです。
スキーシーズンがオフになってもスキー熱は高いままで、当時できたばかりのK-airというウォータジャンプの施設でスキー仲間がバイトしていたので、私もウォータージャンプへ通って練習しました。
26歳夫婦でスキーにハマる
この年は妻もスキー道具を新しく揃えて、毎週滑りに行っていました。キッカーも飛んだり、ボックスこすったりと妻もフリースキーにハマって行きました。
そして、私はこの年からスキービッグエアの大会なんかにも出るようになりました。
といってもようやく540、sw360が出来る程度でした。
スキーJAM勝山でスポタカ、SSSに出場しました。スポタカでは運よくビックエアー賞をもらいました。
SSSでは西方大輔、長田慎士、津田健太郎、市橋秀一など当時のトップライダーが出場していてもちろん予選落ちでした(笑)
ライダーの子達はSW900、SW720をバンバン決めてましたねー。
西方くんは当時日本のフリースキーシーンでは有名なドミナントフィルムのライダーですし、長田くんはこの年にカナダカップで優勝して一気に有名になりました。後にカナダのWSSFで優勝し世界一になっています。
津田くんはまだ無名の選手でこの時の活躍が目に止まり白河塾にスカウトされて翌年にはカナダカップで優勝していましたね。その後はオリンピック選手ですからね、凄いですよねー。
そして3月に友達と私達夫婦でカナダのウイスラーブラッコムにスキー旅行に行きました。これが間違いその2ですね(笑)
ウイスラーではちょうどパウダーに当たりスキー場のスケールの大きさと、どこでも滑れる楽しさそれに加えパウダーを満喫してしまった為、カナダに住みたいと思うようになりましたw
27歳で仕事を辞めてカナダへ
というわけで、私も妻も仕事を辞めてカナダへ約半年行ってきました(笑)
自分でいうのもなんですが自由な生き方してるとなぁ〜と思いますw
まあ、同じくこの年にスキー仲間の夫婦もカナダに来ていたので、知り合いがいて安心というのもありカナダ行きに踏み切れたというのもありました。
しかし、この年のウィスラーは何十年に一度の雪の少ない年でパウダーにはあまりありつけませんでした…
しかし、ウィスラーでは色々な出会いがありました。
スキーヤーでは寺田姉弟、HEAD&オラージュライダーの本間 勝美くん、と知り合い一緒に滑ったりしていました。スキーベースジャンパーの佐々木大輔さんとも一度一緒に滑る機会がありご一緒させてもらいました。
マイクダグラスやTJシラー、カイピーターソンも見ましたよ!もう異次元の滑りでした!
ウィスラーブラッコムはいい山でした。日本みたいにコースの規制があまりないのがいいです。コース外にはSki area boundaryて看板が立ってはいますが当時ウィスラーで滑っていた外人さんたちはパウダー追い求めて入っていました。(Ski area boundaryて書いてあったら行ってはダメですよ)
それで、一度痛い目にあいました。コース外のトレースを追って行ったらコースから外れてしまい、山の麓は雪も無かったのでそこから板を担いで麓の道まで歩きました。なんとか道まで出ることができバス停があったので助かりましたが、危うく遭難するところでした(^^;)
良い子のみなさんコース外は滑走禁止ですよ!
そんな事件もありましたがウィスラーでのスキーを満喫できてとてもいい経験ができたと思います。
本当はウィスラーでガイドの仕事とかをしたかったのですが、現実はそう甘くなく帰国したのでした。
28歳で山へ移住
私達夫婦はカナダから帰国後スキーを続けるために現在住んでいる郡上市に移住することを決意しました。
ネットで郡上市の仕事を探していたら募集があったので連絡をとってみました。すると面接をしてくれるということで早速話を聞きに行きました。
面接の時には夫婦で住めるところも教えていただき、採用してくれるとのことで夫婦で郡上市に移住することになったのでした。
移住したことにより今まで3時間かけて通っていたスキー場が、家から20分でスキー場という環境になり、休みの日は毎回スキーに行くという生活が始まりました。
29歳〜32歳イベント、キャンプの手伝いをする。
29歳の時に奥美濃で活動していたライダーのC-PON、JU、シータ、カメラマンのワンタンと知り合いFREESKICOMPやOKUMINO-MASTERS、フォトセッション、キャンプなどのお手伝いをしたりとフリースキー関係のイベントで色々な刺激をもらいました。
2009年に作った自己満Movieですw
32歳の頃ですね、この時が一番体のキレもよかったような気がします。
この頃からBC(バックカントリー)にも行くようになりました。まだ、スノーシュー履いて登ってますね。スノーシューは大変でした(^^;)
33歳にして大会で初入賞、シーズン終わりに脊髄損傷
2010 OKUMINO-MASTERSではSW CORK720を決め、奥美濃部門(ノンスポンサー部門)で3位入賞と初めて表彰台に登ることができました!嬉しかったですねー!
OKUMINO-MASTERSは毎年出場していましたが、毎回ライダーさんばかりで決勝に残るのがやっと。この年は奥美濃部門ができたので運良く入賞できただけなんですけどねw
しかし、調子にのっていたわけではないのですが、忘れもしない4/2ダイナランド営業最終日、転倒した時に脊髄損傷。しばらく首から下が動かなくなった時は焦りました…
即入院でした。
【入院中の私】
幸い後遺症はほとんどなく(若干右手の痺れが残った)無事、退院することができました。
34歳から無茶しなくなる
さすがに大怪我したので自粛です(笑)
それでもスキーは続けていました。
35歳子供が産まれテレマークを始める
35歳の時、子供が産まれそれを機に飛んだりするのはやめようと思いました。
それで、何か面白いことはないかなと思っていたらツイッターのフォロワーさんでテレマークをされている方がみえてやってみようと思ったわけです。
子供が産まれてからはさすがに今までのように滑りには行けないので早朝の5:00〜8:00まで滑って帰るとかしてました。
たまにはバックカントリーへ行ったり。
【パウダー最高です!】
家族で遊びに行くのも楽しいです♪
【妻とソリで遊ぶ子供1歳】
【おんぶしてテレマークスキー】
4歳で一人で滑れるようになりました。(親バカですみません)
40歳またパークで攻めだす
ツイッターでフリースキーやってる方々もフォローしているのですが、若い子達がアップした動画を見たりしていたらスキー熱がまた再燃してしまいました!
おっさんでも出来るってところを見せたくてまた飛んだりしはじめましたが、ブランクのせいか思うようにできませんねー(^^;)
怪我しない程度にこれからもスキーを続けて行きたいと思います!
長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます!
コメント
swロデオ720 キャンディットやってたね!たてなかったけど。だいたい俺も同じような流れ!ただカナダ行くとかはできないなーw
同世代は同じ流れが多そうだよね!カナダは今からでも遅くないよー(笑)